【読書】北一輝を読む

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

さて今年の読書は『北一輝』(渡辺京二著)からスタートです。右からも左からも誤解される北一輝の社会主義思想を渡辺氏が丁寧に紐解きながら、その核心に迫ります。渡辺氏の文章は相変わらず切れ味が鋭く、細部までぴんと張り詰めた緊張感があって読み応えがあります。

結論として、この本では北の思想は日本コミューン主義の系譜にあるものとされました。北にとっては明治維新はきたるべき革命を用意するものであり、ひとつめの革命でした。明治維新はすでに社会主義革命だったのです。むろんこのような歴史観は北独自のものにすぎず、現実社会はこれとは異なった動きをしたわけで、だからこそ北の書物は誤解されて読まれていったのでしょう。それにしたって、北の思想が相当過激なのは間違いありませんが。この本の結論を検証するには明治維新と西南戦争について調べる必要がありますね。最重要人物が西郷隆盛です。

(…この本の表紙。煙のようですが、よーく見ると写真をぼかしたようにも見えて不気味です)
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【読書】日米の野球文化の違いがおもしろい

『アメリカの少年野球こんなに日本と違ってた』(小国綾子著、2013)を読みました。アメリカと日本の少年野球の環境の違いが描かれています。
少年野球でも毎年セレクションがあります。驚きました。日本ではだいたい高校野球のスポーツ推薦あたりからですよ。ですから、みんながずっと一緒のチームにいるなんてことはほとんどないそうです。子供の頃から競争社会です。だからといって居心地が悪いというわけではなくて、競争しやすいようなシステムができているところがポイントです。上を目指したければ果てしなく上があり、のんびりと野球を楽しみたければそういう緩いチームに入ればイイ。じつにシンプルです。チャレンジャーにはフェアに門戸が開かれていて、例え上手くいかなくてもチャレンジ精神を尊重する。そういう仕組みが社会全体でできているようです。セレクションの結果、プレイヤーは自分のレベルにあったチームに入団することになります。学年が違うチームに入ることもあります。場所が用意されていればプレイヤーのマインドは安定しますね。でなければ、たんなる弱肉強食の社会になってしまいますから。野球に限らずスポーツ全般でこうなっているんだろうと思います。

まあ、まったく馴染みがないので実際のところはわかりませんが、少なくとも出る杭が打たれたり、足の引っ張り合いになったりが起こりにくそうなので、良さそうです。大学のサークル活動のような軽さがあっていいですね。コミュニティ形成の仕組みが面白いと思いました
ryukozi
【読書】会計天国

『会計天国』を読みました。5つの典型的な案件を通して会計の勘所が楽しく学べる小説です。主人公の経営コンサルタントが一見すると無味乾燥な数字の裏にあるさまざまなストーリーを読み取りながらけっこうまじめに経営指南するところがミソですね。
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【読書】忘れられた柔道家

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著、2011)を読み終えました。
20世紀最強の柔道家木村政彦の評伝です。天覧試合で優勝し、「15年不敗」「鬼の木村政彦」と言われた男です。しかし、その一方で、木村政彦は力道山に負けた男として有名です。木村は「プロレス」で負けました。「本気でやれば木村が勝ったはずだ」という信念を抱いた著者は本書を執筆し、衝撃の結論を導きます。計689ページの大著ですが、最後まで飽きることなく読むことができました。

柔道界の歴史をいろいろと知ることができました。戦後から現代にかけて、すっかり忘れられてしまった高専柔道や古流柔術の存在も興味深いです。わたしは少しだけ柔術を習っていましたが、それは寝技が主体の護身術といったものでした。しかし、昔は柔術と柔道はまったく同じものを指していたそうです。やがて立ち技主体の講道館柔道が主流として勢力を拡大していきますが、その流れの中で高専柔道や古流柔術が棲み分けを余儀なくされたというのがおおまかな見取り図です。

木村政彦が今で言うところの総合格闘技を志向しており、そしてそれが古流柔術(柔道)のひとつの極点であったとは、まったく知りませんでした。その先に、木村とグレイシー一族との関係があります。木村とグレイシー一族の因縁も複雑です。柔道と総合格闘技だけの関係ならばここまで複雑になることはなかったでしょう。ショーとしてのプロレスが絡むことで総合格闘技の実力とは別の要素が入りこんでしまっています。さらに、ここに力道山のブック破りが加わることで話が輪をかけてややこしくなっています。

結局のところ、このプロレスについても、いわゆる、アメリカンプロレス(ショー)やバーリ・トゥード(格闘)のわかりやすさに比べてみれば、日本のプロレスはひじょうにわかりにくい。力道山から猪木までの日本のプロレスに仕込まれた「騙し」はマスコミをも巻き込んだ壮大なエンターテインメントであり、虚実が入り混じる極めて異質な世界を構築していたと思います。それを受容して消費してきた観衆もまた異常でした。しかし、もはや柔道にもプロレスにもかつての人気はありません。柔道やプロレス界の栄枯盛衰を見ていくと、ひとつの大きな時代が結末を迎えてしまったような気がしないでもありません。いまや異常な社会はさまざまなかたちで終焉しつつあるが、わたしたちはそういったものに向き合う時期にきているのではないかと思いました。そして残された時間はあまりない。

この本を執筆中に木村の一番弟子である岩釣兼生が逝去されたそうです。時代の生き証人が減りつつある中、さまざまなタイムリミットが近づいていることを実感します。
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【読書】エネルギー問題の勘所

『エネルギー問題』(松井賢一著,2010)を読みました。
わたしがこの本を読もうと思った理由は2つあります。ひとつは、東日本大震災による原発事故によりエネルギー政策が見直される機運が訪れ、エネルギー問題を包括的に扱っている本を読みたかったから。もうひとつは、この本が東日本大震災の前に出版されていたことです。まず今後のエネルギー政策に震災の影響は避けられません。しかし、物事をより公平に眺めるためにはその影響がなかったときの立論こそ重要になると思いました。

さて、この本ですが期待以上の良著でした。網羅的で、とてもバランスが良いです。
まずは、石油問題について。その本質は「誰にとっての危機か」という点にあります。
 

石油危機というと普通は消費者にとっての危機を意味しており、石油供給がストップする、あるいは原油価格が暴騰するといった自体を指して使われてきました。この事態は石油の生産者にとっては危機どころか儲けるチャンスだったわけです。ここで、もう一つの石油危機があるというお話をしたいと思います。それは産油国にとっての石油危機で、石油が使われなくなるという危機です。p.36


結論として、将来起きる石油危機は石油の「枯渇」ではありません。石炭が石油に変わったのは石炭が枯渇したからではなく、コストパフォーマンスにおいて石油が石炭を上回ったからに過ぎないわけで、近い将来に石油もこれと同じ道を辿るというわけです。では、それに変わるものは何かというと、著者によれば石炭や天然ガスよりも有力なのが原子力だったのです。

次は原子力について。著者は原子力の可能性に言及しながらも核燃料サイクルの確立と高速炉の開発が遅れてしまっていることを指摘しています。今後については、若者たちに原子力への夢を持たせるようにしなければならないと言っています。リリエンソールの言葉を引用している部分があり、興味深く読みました。
 

「私は、原子力が人類にもたらす可能性についてもっともよく知る立場にある人々や団体が、批判と困難に直面して、防御と退却の姿勢をとろうとしていることに失望している。それは謙遜ではなくて、放棄である。積極的対策を取るべきであり、取らなければならない。不幸なことに、その経験と訓練からして先頭に立つべき人々が、その役割を果たしていない」p.144


東日本大震災後には、このような発言をするのは困難になっていますが、それでもなお、専門家は言うべきことを言わなければなりません。わたしたちは高度に専門的な様々な領域について、自分で判断することができません。そのため、信用できる専門家のコメントを聞くしかないという局面がどうしてもあります。

再生可能エネルギーについては、あくまで補完的役割とのことです。代表的なものは太陽熱利用、太陽光発電、風力発電、水力発電、地熱発電、バイオエネルギーといったところです。

次に、省エネルギー、地球温暖化問題と京都議定書について。
じつは本書を読んで最もおもしろかったのがこれらについてです。

著者は「効率が上がれば、需要が増加する」と述べています。
 

20世紀の100年間でアメリカにおける1kWh当たりの発電用エネルギー投入量は10分の1に減りましたが、この間に電気料金は30分の1に下がり、電力需要は1300倍に増加しました。これはほとんどのOECD諸国で起こったことです。p.165


つまり、効率が上がり、価格が下がると、総使用量が増えてしまったのです。安いから使う。さらにもっと安ければもっと使う。当たり前ですね。この話はすごくおもしろいと思いました。なぜなら、マルクスが『経済学・哲学草稿』でまったく反対の結論を言っていたからです。マルクスは、労働の現場で機械化が進むと仕事の効率が上がり時間が短縮されることになり、それだけ余暇が増えて釣りに行く時間もできるし散歩の時間もできてのんびりとした豊かな生活を送ることができると言っていました。ですが、実際に起きていることは、仕事をする時間の短縮ではありません。需要が増えて、供給も増えています。ものは考えようだなと思いました。

省エネルギーについては、指標によって評価が異なるというのが面白かったです。詳細は省きますが、日本はある指標に従えば、省エネルギー国家ですが、別の指標に従えばそうではありません。それぞれの国によって事情が異なるということです。

地球温暖化問題については、もう政治の問題ですね。たしかに問題は存在しますが、その解決方法については各国の思惑が関係しており駆け引きもあります。そうなると、もはや科学の領分ではなくて、政治の世界の話になってしまいます。
 

1950年代までは温暖化説が主流で、それ以後1970年代までは寒冷化説、1980年代以降は温暖化説が主流となっているわけですが、これは地球の気温の変化と同調し、たまたま寒くなれば寒冷化説、暑くなれば温暖化説がはやるとも言え、これでは気候変動ではなくて思考変動ではないかと揶揄したくなる気持ちもわかります。p.191


これは、まあ、なんとも滑稽な話です。京都議定書についてもそうです。著者はかなり深く関係しているようで、これにきちんとページを割いて丁寧に説明しています。とても興味深い話ですが、長いので結論だけ引用します。
 

これまで述べてきたような事情で、京都議定書はたいへん複雑になり、排出権取引といったものまで取り込まれることになりました。ところがCOP3以降の状況を見てみると、さんざんかき回したアメリカが京都議定書を批准せず、京都議定書から離脱し、結局、京都議定書加盟国の炭酸ガス排出量は世界全体の三分の一ほどにとどまり、実質上、排出権などのお世話になるのは日本だけになりそうだという、おかしな制度になってしまったわけです。p.215


この気候変動に関連して、モデルと予測についても面白いことが指摘されています。結局のところ、大型コンピュータを使って精緻な計算をしたところで、予測が当たるのは2〜3年程度です。10年、20年先になるとほとんど当てになりません。なぜなら、歴史的には10年程度でサプライズが起こり、世情が予想もつかない方向にがらりと様変わりしてきているからです。計算結果は参考にはなるけど、信じすぎるのも考えものということですね。

人類史上では、7つのエネルギー革命があったそうです。
 

第一次エネルギー革命 火の利用の開始
第二次エネルギー革命 農耕・牧畜の開始
第三次エネルギー革命 鉄の利用の開始
第四次エネルギー革命 火薬の利用の開始
第五次エネルギー革命 石炭の利用の開始
第六次エネルギー革命 石油と電気の利用の開始
第七次エネルギー革命 原子力の利用の開始
p.254-266


これに続いて次のように述べています。
 

人類の歴史を振り返ってみると、新しいエネルギーの登場は、戦争の形式と生活様式に革命的な変化をもたらしてきました。(中略)今のところ我々の生活様式は変わっていません。こういった点で私は、これまでのおよそ50年の原子力発電その他の原子力エネルギー平和利用の歴史は助走段階で、原子力エネルギーの時代はまだまだ始まったばかりなのではないかと考えています。第七次のエネルギー革命はこれからが本番で、原子力エネルギーの本格的な利用を中心に、ハイテクと結びついた再生可能エネルギーが化石エネルギーの役割を低下させていく時代に入ったと思われます。p.266


この現状認識と未来予測は、かなり参考にできるのではないでしょうか。
続いて、著者は、SF作家のアーサー・C・クラークの次の言葉を引いています。おそらく、この引用部分に、著者の考えが集約されています。なかなか熱いメッセージだと思いました。
 

まず著名な年配の科学者がかくかくしかじかのことは可能であると言ったならばほとんどの場合それは正しい。しかしこれこれのことは不可能であると言った場合には誤りであることが非常に多い。史上初の機関車が建造されたとき、批評家たちは時速30マイルに達するスピードで走ったら人間は窒息してしまうと真面目くさって主張した。二十世紀の初め頃、科学者たちは口をそろえて空気よりも重いものの飛行は不可能だから飛行機を作ろうと考えるなどは愚の骨頂だ、と主張した。それから現存するあるいは予見しうる科学技術をもってしては疑いの余地なく不可能なことでも新しい科学の進歩によってありきたりのものいになるかもしれない。新しい科学はその性質上決して予測されないものである。未来を予測するためには論理が必要である。しかしまた時には論理そのものを無視することすらしかねない信念や想像力が必要なこともある。論理的に可能なものは技術的にどんな困難が存在しようとも熱意さえ十分ならば必ず実現される。過去50年に起こった大部分のことは突飛であったし、今後もそうに違いないだろう。p.270-271

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