忘れられた機能
・・・前回からのつづきとなります。

「家屋文鏡」の分析により、ひとつの仮説を提案したいと思います。

竪穴式住居でもっとも不自然なのは、建物の閉鎖性です。これを機能面から考えるヒントとして『忘れられた日本人』(宮本常一著、ワイド版岩波文庫1995)を参照します。愛知県北設楽郡名倉村(現設楽町)での年寄の座談会です。1880年代生まれの老人たちは社会や村の変革について語りながら、かつての風習にも触れています。

小笠原(女) (中略)それにしても女は損なものでありました。月のさわりがありますので・・・。あれでどれ位損をしたことか。このあたりはごへいかつぎ※注1が多うして月のさわりをやかましく言うところで、もとは一軒ごとにヒマゴヤ※注2がありました。そうしてさわりがはじまるとそこへはいって寝起もし、かまども別にして煮炊きしたものであります。いっしょにたべたのでは家の火がけがれるといって、しかしわたしの十五歳の頃には大分すたれました。(中略)この山の向こう側にある宇連というところにはつい近頃までヒマヤがありました。
このあたりでは、ヒマヤは早くなくなりましても、月のさわりのときは、仏様へお茶湯をあげることもならず、地神の藪へは十二日間もはいってはいけぬことになっておりました。

金田茂(男) 清水の酒屋、原田甚八郎の家には本家にひさしをつけて、そこをヒマヤにしていました。ヒマヤは一坪ほどのものでありました。

p.66-67「名倉談義」(1950年代の記録と思われる)

かれらの話には「ヒマヤ」と呼ばれる小屋が登場します。竪穴式住居にこのような役割があったとしたらどうでしょうか。ちょっと大胆かもしれませんが、ぼくは「家屋文鏡」に描かれている「竪穴式の小屋」はケガレのようなものに対応する建物と推測します。もしかしたらヒマヤとサンヤ※注3を兼ねたものかもしれません。仮にこのような機能であれば、その奇妙な閉鎖性を理解することができます。

ここで、ひとつ問題になるのは建物の大きさです。一般的にヒマヤは2畳程度の広さだったようですが、「家屋文鏡」の「竪穴式建物」はもっと大きくみえます。そこで、さらなる仮説としてヒマヤ・サンヤを集落で共有していたと想定します。

「家屋文鏡」にはパラソル状の記号が描かれています。これは「高床式」「竪穴式」の2つの建物に付属しているものです。この記号はなにか特別なもの、神聖なものを表しているようにみえます。パラソル付きで豪華な「高床式」の建物は祭司やシャーマンの家ではないでしょうか。一方の竪穴式の建物はヒマヤ・サンヤで、生命の誕生に関わる小屋とでもいえそうです。かくして「家屋文鏡」に描かれている4つの建物がはっきりしました。一方は「祭司の小屋」「ヒマヤ・サンヤ」という組み合わせです。もう一方は「住居」「倉庫」という組み合わせです。これらは<聖なるもの>と<俗なるもの>に対応するとみなせます。ひとつの集落のなかに<聖>の建物が少数存在し、<俗>の建物は多数存在していたのではないでしょうか。

「家屋文鏡」を分析することによって、ひとつの仮説を提示することができたと思います。この仮説の有効性はともかくとして、まだ他にも「忘れられた機能」があるような気がします。


※注1)ごへいかつぎ(御幣担ぎ):縁起を気にすること。また、その人。
※注2)ヒマヤ(暇屋):月小屋。2畳くらいのヒマヤゴヤがあったといわれている。
※注3)サンヤ(産屋):出産のための小屋。集落で共有する例も見られたという。
ryukozi
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