【読書】忘れられた柔道家

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著、2011)を読み終えました。
20世紀最強の柔道家木村政彦の評伝です。天覧試合で優勝し、「15年不敗」「鬼の木村政彦」と言われた男です。しかし、その一方で、木村政彦は力道山に負けた男として有名です。木村は「プロレス」で負けました。「本気でやれば木村が勝ったはずだ」という信念を抱いた著者は本書を執筆し、衝撃の結論を導きます。計689ページの大著ですが、最後まで飽きることなく読むことができました。

柔道界の歴史をいろいろと知ることができました。戦後から現代にかけて、すっかり忘れられてしまった高専柔道や古流柔術の存在も興味深いです。わたしは少しだけ柔術を習っていましたが、それは寝技が主体の護身術といったものでした。しかし、昔は柔術と柔道はまったく同じものを指していたそうです。やがて立ち技主体の講道館柔道が主流として勢力を拡大していきますが、その流れの中で高専柔道や古流柔術が棲み分けを余儀なくされたというのがおおまかな見取り図です。

木村政彦が今で言うところの総合格闘技を志向しており、そしてそれが古流柔術(柔道)のひとつの極点であったとは、まったく知りませんでした。その先に、木村とグレイシー一族との関係があります。木村とグレイシー一族の因縁も複雑です。柔道と総合格闘技だけの関係ならばここまで複雑になることはなかったでしょう。ショーとしてのプロレスが絡むことで総合格闘技の実力とは別の要素が入りこんでしまっています。さらに、ここに力道山のブック破りが加わることで話が輪をかけてややこしくなっています。

結局のところ、このプロレスについても、いわゆる、アメリカンプロレス(ショー)やバーリ・トゥード(格闘)のわかりやすさに比べてみれば、日本のプロレスはひじょうにわかりにくい。力道山から猪木までの日本のプロレスに仕込まれた「騙し」はマスコミをも巻き込んだ壮大なエンターテインメントであり、虚実が入り混じる極めて異質な世界を構築していたと思います。それを受容して消費してきた観衆もまた異常でした。しかし、もはや柔道にもプロレスにもかつての人気はありません。柔道やプロレス界の栄枯盛衰を見ていくと、ひとつの大きな時代が結末を迎えてしまったような気がしないでもありません。いまや異常な社会はさまざまなかたちで終焉しつつあるが、わたしたちはそういったものに向き合う時期にきているのではないかと思いました。そして残された時間はあまりない。

この本を執筆中に木村の一番弟子である岩釣兼生が逝去されたそうです。時代の生き証人が減りつつある中、さまざまなタイムリミットが近づいていることを実感します。
ryukozi
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