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近作をアップしました。
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こちらのブログ「建築絵日記」は旧ブログとして残しますが、新ブログは移行しました。
]]>半年間の集大成です。講評会での発表者は限られていますが、いい意味で選考には苦労しました。
発表されたひとつひとつの案について具体的なコメントはしませんが、どれも力作ぞろいで、明確な個性のある案でした。みんなの前で発表する機会というのはそうそうあるものではありません。図面と模型の準備や発表の練習などを含めて、場数を踏むことが大事なことです。準備を怠ってしまうと、それなりの発表しかできないというだけでなく、結局は得るものが少ないので自らが損をしてしまいます。完璧とはいかずとも、せめて目的意識を持って準備をして欲しいと思います。
講評会の後には、ポスターセッション。製図室で全員の図面を並べるとそれぞれの違いがよくわかります。惜しくも発表に選ばれなかったものにも光るものが見られました。そういうものにひとつひとつコメントをして意見を聞きましたが、提出後のこういうやりとりこそが今後につながる重要なものです。教員は成果物に表現されたものだけを見ているわけではありませんし、こういう機会を利用して「表現されなかったもの」についての話ができればと思っています。提出して採点されたらそれで終わりというものではありません。
その後は、教員が集まり半年間の課題について反省会。今年の課題はおおきく傾向を変えた部分がありました。半年間を振り返りながら来年の改善点も確認しました。試行錯誤を重ねて少しずつ変化させていくことが大切だと思います。
石油危機というと普通は消費者にとっての危機を意味しており、石油供給がストップする、あるいは原油価格が暴騰するといった自体を指して使われてきました。この事態は石油の生産者にとっては危機どころか儲けるチャンスだったわけです。ここで、もう一つの石油危機があるというお話をしたいと思います。それは産油国にとっての石油危機で、石油が使われなくなるという危機です。p.36
「私は、原子力が人類にもたらす可能性についてもっともよく知る立場にある人々や団体が、批判と困難に直面して、防御と退却の姿勢をとろうとしていることに失望している。それは謙遜ではなくて、放棄である。積極的対策を取るべきであり、取らなければならない。不幸なことに、その経験と訓練からして先頭に立つべき人々が、その役割を果たしていない」p.144
20世紀の100年間でアメリカにおける1kWh当たりの発電用エネルギー投入量は10分の1に減りましたが、この間に電気料金は30分の1に下がり、電力需要は1300倍に増加しました。これはほとんどのOECD諸国で起こったことです。p.165
1950年代までは温暖化説が主流で、それ以後1970年代までは寒冷化説、1980年代以降は温暖化説が主流となっているわけですが、これは地球の気温の変化と同調し、たまたま寒くなれば寒冷化説、暑くなれば温暖化説がはやるとも言え、これでは気候変動ではなくて思考変動ではないかと揶揄したくなる気持ちもわかります。p.191
これまで述べてきたような事情で、京都議定書はたいへん複雑になり、排出権取引といったものまで取り込まれることになりました。ところがCOP3以降の状況を見てみると、さんざんかき回したアメリカが京都議定書を批准せず、京都議定書から離脱し、結局、京都議定書加盟国の炭酸ガス排出量は世界全体の三分の一ほどにとどまり、実質上、排出権などのお世話になるのは日本だけになりそうだという、おかしな制度になってしまったわけです。p.215
第一次エネルギー革命 火の利用の開始
第二次エネルギー革命 農耕・牧畜の開始
第三次エネルギー革命 鉄の利用の開始
第四次エネルギー革命 火薬の利用の開始
第五次エネルギー革命 石炭の利用の開始
第六次エネルギー革命 石油と電気の利用の開始
第七次エネルギー革命 原子力の利用の開始
p.254-266
人類の歴史を振り返ってみると、新しいエネルギーの登場は、戦争の形式と生活様式に革命的な変化をもたらしてきました。(中略)今のところ我々の生活様式は変わっていません。こういった点で私は、これまでのおよそ50年の原子力発電その他の原子力エネルギー平和利用の歴史は助走段階で、原子力エネルギーの時代はまだまだ始まったばかりなのではないかと考えています。第七次のエネルギー革命はこれからが本番で、原子力エネルギーの本格的な利用を中心に、ハイテクと結びついた再生可能エネルギーが化石エネルギーの役割を低下させていく時代に入ったと思われます。p.266
]]>まず著名な年配の科学者がかくかくしかじかのことは可能であると言ったならばほとんどの場合それは正しい。しかしこれこれのことは不可能であると言った場合には誤りであることが非常に多い。史上初の機関車が建造されたとき、批評家たちは時速30マイルに達するスピードで走ったら人間は窒息してしまうと真面目くさって主張した。二十世紀の初め頃、科学者たちは口をそろえて空気よりも重いものの飛行は不可能だから飛行機を作ろうと考えるなどは愚の骨頂だ、と主張した。それから現存するあるいは予見しうる科学技術をもってしては疑いの余地なく不可能なことでも新しい科学の進歩によってありきたりのものいになるかもしれない。新しい科学はその性質上決して予測されないものである。未来を予測するためには論理が必要である。しかしまた時には論理そのものを無視することすらしかねない信念や想像力が必要なこともある。論理的に可能なものは技術的にどんな困難が存在しようとも熱意さえ十分ならば必ず実現される。過去50年に起こった大部分のことは突飛であったし、今後もそうに違いないだろう。p.270-271